前回からの1年越しの独り言のつづき。

さて、私は前回のブログ記事内で

変えられないものを受け入れる平穏な心を持っていないし、変えられるものと変えられないものを見分ける能力もない。

ということを言った。そして、最近「なんでなんだろう」と深く考えるようになった。

宗教も信仰心もない私は、今までこのSerenity Prayerは、有名な最初の部分「変えられないものを受け入れる平穏な心と、変えるべきものを変える勇気と、その二つを見分ける賢さをください」にしか注目していなかった。だけど、私にとって大事なのは、この後だった。

Living one day at a time, Enjoying one moment at a time, Accepting hardship as a pathway to peace, 〜一部省略〜 So that I may be reasonably happy in this life, And supremely happy with You forever in the next.

これといった信仰心もない私が自分の都合の良いように解釈すると、「一日ずつ生きて、一瞬ずつ噛み締めて、困難は平穏への道筋だと受け入れる。〜一部省略〜 そして、私はこの人生において適度に幸せで、そして来世ではあなた(この文章内では神様のこと)とともに永遠に最高の幸せを感じることができるでしょう」というもの。

この”One day at a time”は、娘の難病が分かってから、医者にも同じ病気を持つ患者にも、本当にたくさんの人から言われた言葉だ。そして、その日、その瞬間にならないと分からない病気を持つ娘と1年を過ごし、最近ようやく「一日ずつ生きる」ことが分かってきた。

そして、彼女の治らない病気を「困難」と思っていたから、それを越えられないことを絶望だと感じていたが、そうではなくて「関節が痛い」「免疫力が弱い」「紫外線が強い」ようなことこそが乗り越えるべき「困難」で、目指すは「病気を持ち続けた上での平穏」だ。なぜなら、彼女の病気は「変えられないもの」だから。

たくさんの薬と発展し続ける医学に頼って、紫外線や病気を防ぐ方法を探って、生活を工夫して、平穏への道筋を一日ずつ確かめながら歩くことを、1年経ってようやくできるようになってきた気がする。

このSerenity Prayerは、私が心の一番底でずっと持ち続けていたモヤモヤに答えをくれたが、一つだけ今でも納得できないのは、最後の「現世の適度な幸せ、そして来世」の部分だ。

それは、きっと私に信仰心がないこと、あとは輪廻転生を信じていないからだと思う。

それよりも私はYOLO(You Only Live Once)の精神が好きだから、既に現世でsupremely happyでありたい。

「穏やかな心」と「YOLO精神」が共存するのは難しい気がするから、やっぱり私は今後も定期的に悩むサイクルことになるだろう。

ただ、今の生活で無視して通れない「娘の難病」と、自分の心の置き所は今回整理がついた。彼女の病気は「変えられないもの」、私の気持ちの置き場は「変えられるもの」、困難は「変えられないもの(病気)を受け入れた上で、平穏に生きるために変えたり乗り越えたりしなくてはいけないもの」。

今日のも完全に自己完結日記だけど、悩んでいる誰かのきっかけとかになると嬉しいな、と。