今日は、友人Aの旦那さんが亡くなって一周忌だった。そして今日という日は、初めて「ちょっとおかしいかも?」とその後、難病宣告をされた娘の異変に気づいた日でもあった。

この1年、私は何度もThe Serenity Prayerに思いを馳せた。何それ?と思った方のために一応;

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things which should be changed,
and the Wisdom to distinguish the one from the other.

簡単に説明すると、「変えられないものを受け入れる平穏な心と、変えるべきものを変える勇気と、その二つを見分ける賢さをください」という、有名な祈りの言葉である。

私は無宗教だし、これを祈りの言葉として唱えたことはない。そして強気でコントロールフリークな私は、他人よりも「変えるべきものを変えるパワー」はあると思う。むしろ変えられないもののはずなのに、なんとか変えてやろうとするくらい強引な女だ。

そんな私なので、変えられないものを認めて受け入れることが、非常に苦手だ。

子どもの頃から今でも相変わらず「この私に変えられないことがあって?」と変えられない現実を、理解して受け入れられないことがある。

きっといくつになってもそんな私を見越して、運命は私に「障害と難病を持つ子どもの子育て」を授けてくれた。しかもそれは誰よりも大きな愛を振りまく、私に足りないものをいっぱい持つ子どもだ。

彼女の障害が正式に分かって約5年、その間専門医にたくさん会い、知識のある人々と意見交換をし、食事を変えてみたり、セラピーや習い事を試し、最終的には「学校システムを変えねば」と意気込んで理事になった。障害としては自閉症スペクトラムが中心で、大幅な知的遅延などがあるが、練習や、環境を整えることで、「本人比」では成長することができて、なんとなく「これだって変えられないものじゃなくて、変えられるものにできちゃったんじゃないか」と思い始めていた。

まさにそんなタイミングで、難病を持っていることが分かった。しかも1年経った今でも、それまで送っていた日常に戻るには程遠く、先が見えないような状況であることに変化がない。なんなら1年前よりさらに薬も診断名も増えてしまっていて、状況としては悪い方にいっているのが現実だ。

そんな難病に対しても、私は国内だけではなく、他国の専門医にもコンタクトを取ったり、世界中の同じ病気の人と情報交換を日常的にし、学校システムどころか国の支援システムも、何度も保健省と話し合って、一部変えることができた。

それでも娘の病気は変わらない。彼女の体調をハラハラしながら見守る生活も変わらない。今後の生活も残念ながら変えられそうにない。でもそれらの事実を受け入れる平穏な心は、まだ用意できていない。

それはAの旦那さんの死に関しても同じ。どうすれば変えられた?変えられないものになる前に変えられたポイントはなかった?未だに考える。そう、1年経ってもまだ、家族ぐるみで会っていた彼がいなくなった事実を受け入れる心の平穏さが用意できない。

変えられないものを受け入れる平穏な心を持っていないし、変えられるものと変えられないものを見分ける能力もない。

そんなことをぼーっとここ数日考えていたら、「なぜ私にはその心と能力がないのか」の答えが、このSerenity Prayerの続きに見つかった。

この1年越しの独り言、長くなりそうなので続きは次回。