2月から更新が止まっていたブログ。

この3ヶ月の間、我が家には相当大きな出来事がありました。

実は2月の中旬から、娘の調子が今ひとつで。37度くらいの「まあ平熱の範囲内」のちょっと高めの体温が続き、常に疲れていて、食欲も今ひとつ。電気が眩しいと家の中でサングラスをかけたり、体温は高めなのに寒いと言い続けたり、「変だけど大袈裟に騒ぐほどじゃない」が1週間以上続き、なんとなく心配になり始めてGPに連れて行ったところ「血液検査をしましょう」と言うことに。

その後もちょっと気がかりがありつつも数日過ごし(これは今後記録しようと思う、勢いに乗れたら!)、2月末のロックダウン初日「これはなんかおかしい」という心の声に従い、救急へ。

救急にて再び血液検査をしたところ、前回よりも血液の状況がよくなく、ヘモグロビン・血小板・白血球の数値が全て異常値を示しており、すぐに個室に隔離状態。

その時点で私が疑っていたのは、白血病。それまでの数日、ほぼ一日中、小児白血病の記事を読みあさり、ほぼ全ての症状が当てはまってしまっていたため、白血病なのか、そうじゃないのかが私の頭の中を占めていた。

何人もドクターがやってきて、娘のふくらはぎをギューギュー押して、恐らくアザができるか観察していたんだろう。そして、毎回「あなたは何の病気を疑ってる?」と素人の私に聞いてきたので、私は「症状的に全て当てはまるのが白血病だと思う」と冷静に答えた。もう覚悟というか、諦めがついていたので、早く治療を開始して欲しかった。

夜中の3時にまた新たな血液検査に起こされ、4時に再び心電図に起こされ、そして翌朝は全身麻酔で骨髄の検査を。その辺りでドクターたちは白血病ではない気がするという意見が大きくなり始め、他のりんご病などの感染症の検査をし始めた。

そして正式に、骨髄検査でガン細胞が見つからず、思い当たる感染症も全て陰性と出た。

白血病だと思い込んでいた私は、すごくホッとした。無宗教なのに「神様ありがとう」と口にした。

そんな中、ドクターたちは何人かで一緒に病室にやってきて、私に「座って話しましょう。お子さんからは別の部屋で話した方がいい?」と聞いた。

私は白血病の覚悟をしてきていて、それが否定された今、別に大きな衝撃を受けることもないだろうと思い「ここで大丈夫です」とベッドの端に腰掛けた。ドクターも隣に座り、私の表情をゆっくり観察しながら話し始めた。

「娘さんは、恐らくLupusです。Systemic Lupus Erythematosusというのが正式名称ですが、聞いたことありますか?」

とこれ以上ないくらい落ち着いたトーンで話した。

これまで白血病が否定されてから、りんご病などの感染症が候補に上がっていたため、Lupusもそういう系だと思って、瞬時に「ここで治療してもらえば治る系かな」と思い「聞いたことないです」と軽く答えた。


そして、ドクターから詳しいLupusの説明を聞いた。


私は、泣き崩れた。息の仕方が分からなくなった。
ドクターの一人が、娘と私の間のカーテンをシャッと閉めた。


私の中で、世界がひっくり返った瞬間だった。


Lupus(全身性エリテマトーデス)とは治療法のない、日本では難病指定されている病気だった。しかも9歳という低年齢でかかるのは、これまでこの国でいたかな?という状況らしく、ドクターたちも”We are sorry”と言った。一生懸命、私の涙が止まるようにポジティブな言葉をかけてくれたが、全員悲しそうで残念そうな顔をしていた。


そしてその日は、私と夫の15周年記念日だった。
幸せな記念日が、悲しい記念日に変わった瞬間だった。


それから必死に過ごす毎日の中で季節が2つ変わり、こうやってブログにもようやく書けるようになったのは、何より娘が今もちゃんと生きていて、以前とは違う状況ながらも、また病院の外でも生活できるようになったから。


「ないものを欲しがるのではなく、あるものに感謝する」


これからも、何とかやっていきます。だって命があるんだものね。