by Haruka

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41歳母、現在11歳の障害と難病を持つ娘をニュージーランドで育てています。

今日はこのツイートの背景をもう少し説明してみます。

“障害児を残して安心して死ねない”と泣いた日

障害や病気を持つ子どもの親に共通するのは「自分が死んだらこの子はどうなるんだろう」という悩み。

それは障害の種類や程度、さらには人種や文化に関係なく、ほぼ全ての障害児の親にある悩みだと感じます。

私も5年ほど前、先が見えない毎日が本当に辛くて辛くて「この子と一緒に今すぐ消えたい」と思った日のこと、その瞬間の天気や景色を今でもはっきり覚えています。

朝学校に娘を送り届けて校門を出たところで、学校から「今日は無理みたい」の電話。

メルトダウンをした娘を家に連れ帰る途中、思わず涙が出ました。

そんな私を見て娘が”Sorry, mommy”と言いました。何も悪いことしてないのに!

そして私と娘にとって、これからもこんな辛い思いをし続けて生きていく意味はあるのかなという疑問が何度もチラつく日々の中で、なんとかギリギリ生き続けました。生き延びました。

そしてそれまでSNSをするパワーなんてなかったけれど、藁にもすがる思いでFBで障害児サポートグループを見つけて入りましたら、そこには私と同じように苦しむ人、私よりもずっと大変な思いをしている人がたくさんいました。

「私は一人じゃない」の気持ちが私を慰め、立ち上がらせた出来事です。

“その日を生きる” 人生の始まり

サポートグループ内では、大変で辛いと思う気持ちを聞いてもらい、多くの知恵をもらいました。

その中で私を前に進ませたのは “Live one day at a time” という言葉です。

“その日を生きる” という意味です。

辛い時は先のことを考えない。今この瞬間だけに集中して、その瞬間を幸せでいることに力を注ぐ。

余分なことをするパワーはなかったけど、これならできそうだと思いました。

そして娘がその日を少しでも快適に生きられるようサポートをすることに集中して毎日を過ごし始めました。

周りからもらった転機

毎日学校で娘に付き添い、他の子の面倒もよく見て、学校の課題点にも気づき始めた私は、保護者たちや先生たちから意見を求められる立場になり始めました。

そして “その日を生きる” ようになって約1年。

数人の保護者たちがきて「あなたをこの学校の理事に推薦したい。学校を変えてくれませんか。」と言われました。

私は学校のインクルーシブ教育にもっと根本から取り組みたいと思っていたので「やります!」と返事しました。

そして深く考えずに出馬してから、他に13人ものとんでもない経歴を持つ立候補者たちがいることを知りビビり倒しましたが、私は当選したのです。(理事関係の過去記事はこちら

理事になって身につけた別角度の観点

ガバナンスの経験が皆無だった私にとって、学校理事の仕事は完全なる新世界でした。

地上に立って周りでなにが起きているかを見るのではなく、上空から地上で何が起きているのかを見て指示を出す役目です。

広い視点を持って全体像を長期スパンで考える。

“その日を生きる” とはかなり違う考え方です。

この学びによって私は、娘の障害児/者としての人生を「その日単位」「人生単位」の両角度から考えるようになりました。

私の死から逆算して考える

娘の人生で一番気になるのは、私のサポートが及ばなくなる「私の死後」です。

  • 娘の経済状況
  • 障害者の環境

気になることはたくさんありますが、突き詰めるとこの二つに限ります。

ではこの二つを「安心できる状況」にするにはどうすれば良いのかを考えました。

  • 娘が安心して過ごせる資産を残す(家や貯金)
  • 障害者本人も心地良いインクルーシブ社会推進(仕事・私生活・周囲の理解と思想)
  • 障害者の選択肢を増やす(「障害・難病児もNZ留学」実現が第一歩)

そのために私がすることは以下です。41歳の目標(参考過去記事はこちら)に繋がります。

 

一度本気で人生を終わりにしようかなと思って、でもそれを乗り越えた私はとんでもなく強いです。

だからあまりに辛いからもう終わりにしたいな、と思うケアラーさんたちの力にもなりたい。

大変な人は弱音も愚痴も吐いていいし、落ち込んでいい。そういう人の分も、強くなった私が頑張ろうと思うのです。

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