ポール春香 | Haruka Paul
H3P Limited 代表

1981年 神奈川県横浜市出身、2023年現在 ニュージーランド・オークランド在住


幼少期〜中学校生活


父の仕事の関係で、幼稚園をイギリス(サリー州)で過ごした後、小学校は横浜市立小学校に通いました。
イギリスでの記憶はあまりありませんが、当時歌っていた英語の歌や、カラフルな色使いのアニメを見て急に記憶が蘇ることがあります。

中学校でアメリカ(ニュージャージー州)に渡ったものの、”Hello” と “Excuse me” しか知らない状態から、文字通り血の滲むような努力の末、Highland Park Middle Schoolを、Honor Rollを受賞して卒業しました。

あとにも先にも人生で一番頑張ったときなので、この過去の栄光をいまだに引きずりがちです。(海外生活経験をブログに記録してあります。よろしければこちらからどうぞ!)


高校〜大学生活


その後、高校入学前に日本へ帰国、国際基督教大学高校(ICU高校)、青山学院大学法学部に帰国子女入試で入学。

大学卒論は「EUにおけるタバコ規制法」ですが、ゼミの教授がドイツ出身だったこと、そしてEU法を口実に学校を休んでヨーロッパに行きたかったというだけの理由で選んだトピックなため、深い思い入れは残念ながらありません。

勉学には励みきれなかった大学在学中ですが、学校外ではスターバックスでバリスタ、テレビ東京報道部でAD、として多くのユニークな経験をさせてもらいました。

そして大学4年時の就職活動には失敗、半年卒業を遅らせて就職活動延長してなんとか内定。みんなと一緒に華やかな袴を着ることなく、ひっそりと9月に卒業しました。


社会人生活〜サモア移住


社会人としてはビジネスコンサルタントとして働いていましたが、自律神経失調症を患い1年で退職。

当時、青年海外協力隊(JICA)としてサモアに赴任していた母親を訪ねたのをきっかけに、私自身もサモア(アピア)とアメリカンサモア(パゴパゴ)に生活拠点を移しました。自分の中の理想の人生設計が崩れ、結構ヤケになっていた時期でもあります。

その後、サモア人と結婚し、2006年日本生まれの息子、2011年NZ生まれの娘と、ニュージーランド・オークランドに住んでいます。これまで色んな国に住んできましたが、2007年より住んでいるここニュージーランドが、世界で一番心地よく感じています。


ニュージーランド移住〜


2008年からオークランドの留学エージェント【女性のためのピリ辛留学】にて、英語講師/留学カウンセラーとしての経験を積ませてもらいました。

主に激辛コース・放課後補習での英語教育を担当していました。当時のあらゆる年齢・職業の方々に、さまざまなアプローチで英語を教えた経験が、今のオンライン英語レッスンにつながっています。

また、親子留学【キラペラ親子留学】にもアドバイザー/オペレーターとして関わり、幼稚園〜高校生の親子留学のお手伝いをさせていただきました。リピーターの方もいるこのプログラムを通じて、日本の方がNZに求める教育を知ることができました。

2011年、娘の妊娠を機に退職。

2012年にH3P Limited.を設立。「30歳でビジネスを立ち上げる」人生設計に基づき、フリーランスとして働き始めました。

2016年に障害児である娘が普通小学校に入学。学校生活に馴染めず、親子共に心身疲弊の毎日。仕事も以前ほどは精力的にこなせなくなり、SNSなどからも距離を置きがちに。今でもどうやって日々過ごしていたのかよく思い出せない数年間が、このあたりに存在します。

2021年には娘の難病(全身性エリテマトーデス/SLE)宣告があり、さらに必死な日々を送る人生が始まりました。

2022年に入って、なんだかんだ大変さに慣れたこと、状況が(我が家比で)落ち着き始めたこと、そして自分の年齢が40歳という節目を迎えたことから、このProject 56 feijoasと名付けたプロジェクトで、自分の人生を少し仕切り直してみようと思いました。(56feijoasの名前の由来はこちら)

2022年現在、オークランド公立小学校の理事 | 英語講師 | 通訳・翻訳 | NZ留学サポート、そして自閉症スペクトラム(ASD)、ADHD、発達障害、知的障害などの障害と、指定難病・全身性エリテマトーデス(SLE)の持病を持つ娘がいることから、特別支援児(children with special needs)に関わる活動にとりくんでいます。