前回の続き。色々考えた末、私が理事会で毎回落ち込む背景には、


「今いる井戸をある程度制したので、大海を視野に入れ始めた蛙」


という感覚を私が持ち始めたことがあるのではないだろうか。


私は仕事も色々しているが、感覚的に柱となっているのは「母親」としての自分だ。

まず息子はもう高校3年目だ。ある程度のことは彼の母親として一通り経験した。娘には複数の障害があり、その上難病まであることが分かった。同じ学校に通っていても、息子とはまた違う類の、母親としての濃い経験を重ねている。

私はこの15年で、小学生、中学生、高校生、女の子、男の子、フルタイム勤務、パートタイム勤務、障害児、難病児、PTA役員、補助教員、そして理事としての母親を経験した。

この国での母親業とはどんなものか、15年かけて様々な経験ができた。

その結果、なんだかどこかで「母親としては、かなり極めたのでは?」と感じ始めていたのだろう。

しかし、ここで注目すべきは、私の極みに向かって積み上げてきたものは全て「母親として」のものだ。そして同時に、私のこれまで評価されてきた多くのことには、「〇〇なのに」という枕詞が付く事にも気づいてしまった。

「若いのにしっかりしてる(最近は言われない!笑)」「日本人なのにハッキリ言える(気が強いから!)」「移民なのにこの国に馴染んでる(キウイ優しいから!)」「障害児がいるのに余裕を持ってる(ない!)」「仕事してるのに家事もきちんとしてる(上部だけ!)」とかね。

そして、理事会で関わるような「本当にすごい人」を評価するときには「〇〇なのに」は使われない。だって必要ないから。底上げしなくても、ハードル下げなくても、すごいことに変わりはないから。

そう、私は理事会でたくさんの「本当にすごい人」と関わる機会をもらってしまったがために、「私もそうなりたい」気を持ち始めてしまったらしい。

母親としての訓練と経験がちょっと多めで濃かったおかげで、それで鍛えられた脚力を持った蛙(私)が、たまたま訪れた機会に大きめのジャンプ(理事会選挙)をしたら井戸を飛び出ちゃった(当選しちゃった)。

そしたら目の前には大きな海(理事会)があった。そこには素晴らしい泳ぎを披露しあっている蛙たち(有能な理事たち)がいて、私も真似して泳ぎ始めた。ただ、先に泳いでいた蛙たちは脚だけじゃなくて鍛えられた腕も持っていたり、えら呼吸できちゃうのもいたり、羽が生えてるかもしれないのもいた。

私、溺 れ る。溺 れ た。息継ぎしてない。

そもそも海水味わうの初めてだもん。しょっぱいもん。波の中での泳ぎ方なんて知らないもん。泳ごうとしてるけど陸に打ち上げられちゃうもん。

どうやらこんな状況じゃなかろうか、私。

それに気付いた昨日。


蛙に塩味を感じる味覚があるかどうかは置いておいて、ね?

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By Haruka