3月1日、40歳主婦の私は、トイレットペーパーを補充している瞬間に、ついにここ数年のモヤモヤの核心に辿り着いた。

遡ること30年超、私は幼い頃から「死ぬことが怖い」と感じていた。しょっちゅう大人に「死んだらどうなるの?」と聞く子どもだった。

死ぬのがなんで怖かったかというと、「いつかは存在していたことさえ忘れられちゃう」ことが、とんでもない絶望に思えたから。

そんな小学生の私が辿り着いた結論は、「死後も忘れられないくらいの功績を残せばいい」というものだった。その想いはずっと私の成長とともに存在し続けたし、多分今でも存在している。

さて、本題はまだだ。

ここ数年、40歳というタイミングだったり、パンデミックが長期化していたり、娘に大きな病気が見つかったり、なんか「大見出し」的なことが私の身にたくさん降りかかった。

その中でモヤモヤ悩んだり、感情ジェットコースターな日々を送る中で、なんとか暗闇が続くトンネルの中を把握して、同時に出口を探そうとする作業を続けてきた。

全ては無駄な作業じゃなかったし、必要な作業だった。でも、「暗闇の一番奥を突き止めることができた」感覚は得られていなかった。

しかし昨日、理事会で久々に、私は理事として貢献できているのだろうか、存在価値があるのだろうかという気持ちに襲われた。

私は3年前、理事になりたての時、他のとんでもない経歴のメンバーたちに囲まれて、すっごいパニックに陥って、校長の前で「私にはできません」と号泣したことがある。他のメンバーは、経理だって安全保障だって法律だってガバナンスだって、それぞれ所属する大企業でもトップの方にいる人たちで、持ち寄る知識とアイディアは、とんでもない価値のあるもの。

それに比べ、私には理事としての特筆すべき経験も専門知識もない。学校内ゴシップなら誰よりも知ってるけど、基本的には何が分からないかも分からない状態だった。

そんな途方に暮れ始めた私に友人たちが言ってくれたのは、「ヨーロピアン男性ばかりの理事会は現実的ではない。移民でさらに女性であるあなたが理事会に入ることは、名を連ねているだけで既にとんでもない価値を提供している」と言われた。

こうして文章にすると、ばかにされてない?人種差別的じゃない?と思われそうだが、その発言意図を理解した私からすると、極めて本質をついたものだと納得し、気持ちを立て直した。

そして自分の存在意義を理解できた私は、「私がここに存在することが価値なんです、どういたしまして」くらいの図太さを装備して、会議に挑むようになった。(誤解をされたらいけないので一応書いておくと、私は毎回他の人の何十倍もの時間と労力をかけて準備をして、いくつものワークショップで勉強してから会議に挑んでいる)

で、話が回りくどくなってしまっているのだけど、自分の理事会でのポジションと価値を理解できたはずなのに、なぜ会議に参加するたびに落ち込むんだろう。力不足を実感させられるからか、喋りすぎて余計なことまで口を滑らせるからか、とか色々考えてはみたのだが、今ひとつ核心をつく答えには辿り着けないままでいた。

続きは次回。


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By Haruka