私は仕事をすることが好きだ。ボランティアも良くするが、収入を得る仕事が特に好きだ。

聞いて嫌な気持ちになる人がいたら申し訳ないが、私は経済的な必要に迫られて働いているわけではない。家のローンも20年以上残ってるし、別荘もないし、ボートも持っていないが、自分が働かなくても夫の頑張りだけで、幸せな生活を送ることができる。

それでも「もっと働きたい、もっと!」と常にギラギラしているのはなんでなんだろうと、夫は恐らく不思議に思い続けているし、友人たちは「家のローン返済に頑張っているに違いない」「贅沢好きだからお金がいっぱい必要に違いない」と思っているだろう。

それも全く間違いなわけではないが、私が少しでも多く働きたいと思うのは、仕事をすることで「自分の存在価値」を確かめられて、そして対価をいただくことで、主観的にも客観的にも「成果」を感じることができるからだ。

その一方、主婦の仕事には直接的な収入が発生しない。よく「主婦の労働を賃金に換算したら・・・」なんて記事が出ているが、いくらそこで数字を見せられたところで「私すごいな」と実感するのは難しい。

夫と子どものサポートをして、彼らがより良い人生を送ったら、それは成果では?と考える人もいるだろうが、「わ!た!し!」という自我が強い私には、それは自分の成果とは呼べない。あくまで夫と子どもの成果なのだ。特に「主婦業=家族のサポート」という認識で取り組んだこともない。

このブログを始めた当初から読んでくださってる方は、「この人、主婦業が好きじゃないんだろうな」とお気付きだろうが、まさにその通り。16年間、毎日「必要に迫られて」こなしてきた。特にパンデミック中となると、主婦業から気を逸らすようなことがことごとくできなくなるので、その「必要に迫られた行為=主婦業」を中心に毎日が過ぎていく感覚だ。

我が家の場合、私が「今日はしたくない」といえば夫が率先してやってくれる。嫌な感じどころか、とても気軽にしてくれる。ただ厄介なのは、彼がする主婦業のクオリティを、完璧主義な私が心地良く感じない。だから彼が私の「したくない空気」を察してしてくれようとすると「ちょっと待ったー!」と言って、私がする、というのがお決まりパターンだ。

だから私がする。気が乗らない。でも私がする。というのが私にとっての主婦業。

そんなわけで、最近は「今日した主婦業」を書き出すことをしてみている。通常は感じにくい成果を感じられれば、むしろ逆に「気が乗っちゃう」のでは?という、子どもでも思いつきそうな考えからたどり着いた。

主婦なら当たり前に組み込まれている「洗濯機を回した」「食器洗い機を空にした」「翌朝のためのご飯をセットした」もいちいち書いてみた。「死にそうな人参を使い切った」とか「外で靴底の砂をパンパンした」なんてイレギュラーなものは、意気揚々と書く内容だ。

そうしたら、一見「今日は(も)なんもしなかったわー」と自己嫌悪に陥りそうな日も、実は「ヤバイ人参を捨てることなく冷蔵庫から消せた」とか「玄関に砂をぶち撒かずに済んだ」とか、自分の成果を感じられる材料がたくさん見つかることに気付けた。

ここ何回かのブログ記事は「面倒くさい自己愛強め女」だったけれども、こんな「結構単純にハッピーになれちゃうポップな女」な一面もあるということで。


「ブログを書いた」を、今日はニヤけながら書き加えるよね。


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By Haruka