私には毎日、ほぼ1日中ゆるーいペースでチャットを続ける友人グループがある。4人のグループで、私以外はキウイ2人とオーストラリア人1人だ。

大体朝1のチャットは活動的なオーストラリア人のSから始まるが、今日は私がGroundhog day feeling here again already!と送ると、いつもは「私もまさに!」と同意してくれる3人が、今日は明日からの新学年スタートを控え、テンション高めだったり、不安だったり、Groundhog dayとはむしろ逆の状況にいた。

※ちなみにGroundhog dayとは、「同じことの繰り返し(うんざりな気持ちが含まれている)」を表現するときに使います。

だから余計に「私だけか、こんなドヨーンとした空気なのは」という気持ちになり、今日はチャットから離れて、自分のすべきことに集中する一日とした。

今日は幸い、理事会から至急の資料がいっぱい届いたり、仕事もある日だった。あとは洗濯、掃除、料理、Click&Collectの食料を引き取りに行き、ずっと先延ばしになっていた日本の父への電話、ヘアカラーをして、ハゲたペディキュアを塗り直した。

こうして書くと、結構色んなことをしているのに、逆にこうして書き出さなければ、自分の中の印象的に「今日も何もしなかった」と感じていたような一日。

だから、一つ一つの行動を、ちょっと強めに意識して行ってみた。

理事会の資料はいつもよりさらに深めに読んで、焦点を絞った意見をシェアした。仕事は、好きなものと、正直苦手なものがあり、いつもはあえて苦手なものを先にするのだが、今日は好きなものを先に、する間はどっぷり集中して取り組んだ。

こんな感じで、一つ一つの「今日もまた同じ」と感じてしまいそうなことの全てに、「強めに意識して」取り組んでみて、そして一日の終わりにこうして書き出してみたら、ちょっと心が落ち着いた。「今日もまた同じ、でも少し多めの気持ちを込めて過ごした」と感じられた。

「今日も同じだった」「特に何もしていない」と感じた日は、How was your day?とかWhat did you guys do today?とか聞かれるのが少し嫌だなと思うことがある。だって何かしたという感覚がないから、特に答えられることがない。

でもよく考えたら、私以外の3人は「ソーセージロールをエアフライヤーで焼いた」とか「庭から収穫したにんじんが真っ直ぐだった」とか「子どもと学校でマスクを着用することについて言い争いになった」とか、もしそれが私だったら「何もしなかった」に分類されてしまうだろうことも、しっかり「意識」して「認識」して生きているなと気づいた。日本人は「何かした」のハードルが高いのだろうか?それは私個人の問題か?

とにもかくにも、今日の気付きは「実際に何をしているか」ではなく、「どれくらい意識して生きているか」ということだ。

いわゆる「ていねいな暮らし」とはちょっと違う。私は相変わらず適当だし流れ任せだけど、それさえも「適当にいく!」「流れに任せる!」と強く意識して生きれば、もう少しこのコロナ禍でも心不安定にならずに私はいけるのかなと、なんとなく思った。

なんだか「それっぽく」思われたい、面倒くさくてイタい女の文章っぽくなってしまったが、今日はそんな感じ!

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By Haruka